Movie / アバター(AVATAR)が描くもの
水曜日, 1月 13th, 2010映画「アバター」を見ました。単純明快なストーリーと圧倒的な3Dビジュアル。エンターテイメントの王道って感じでほんとうにおもしろかったのですが、今日出ていたこんなニュースを見て、ちょっと考えるところがありました。
これがそのニュースです。アバターを見た米国のファンが、その魅力に過剰にトリツカレてしまったということ。
<CNNニュース>「アバター」で現実に絶望のファン続出、ネットで相談もより抜粋
映画を見て人類を憎むようになった、現実に絶望したというファンも多く、インターネットのファンサイト「アバター・フォーラム」には、「パンドラの夢がかなわないという絶望感に対処する方法」というコーナーが登場。うつ状態に陥ったというファンや、対処方法を指南するユーザーから1000件を超す投稿が寄せられた。
スウェーデンの学生、アイバー・ヒルさん(17)は「アバターを見た翌日、目覚めると世界が灰色に見えた。自分の人生すべてが意味を失ってしまったようだった。このままやっていく理由がいまだに見出せない。私が生きているのは死に行く世界だ」と書き込んだ。
別のファンサイト「ナビブルー」では、自殺さえ考えたというユーザーが「アバターを見た後、ずっとうつ状態にある。パンドラの素晴らしい世界とナヴィの人たちを見て、自分もその1人になりたいと思うようになった。もし自殺すれば、パンドラのような世界に生まれ変われるのではないかとさえ考えてしまう」とつづった。
メディアの誇大表現をさっぴいても、こういった反応を起こす人々が実際にいたということに驚きました。このような反応は、「アバター」という映画そのもののというより、現代の米国人が抱える問題が引き起こしたものではないかという気がします。
「アバター」は一見、これまで何度も繰り返されてきた典型的なテーマと物語を、3Dという新しい表現で焼き直した映画のように見えます。
でもそれだけでは、「私が生きているのは死に行く世界だ」「パンドラの素晴らしい世界とナヴィの人たちを見て、自分もその1人になりたいと思うようになった」というファンの言葉を説明しきれません。もし「ターミネーター」を3Dで再び映画化したとしても、このような感想は出てこないはずだから。
「アバター」に登場するナヴィという種族は、現代社会では常識的とされる経験主義や局所的な因果律に基づかない、いわば現実が支配する世界とは異なる世界の住人たちです。彼らが命をかけて守ろうとする「エイワ」は、過去のナヴィたちの魂が宿る神秘的な実体として表現され、シガニー・ウィーバー演じる生物学者はそれを「人類の理解を超えた特別なもの」と言いました。
つまり「アバター」で描かれた人類対ナヴィという戦いの構図は、「合理的経験主義の世界」と「主観的・精神的・仮想的な存在を認める世界」との戦いだっとも言えます。宮崎駿監督の作品などには、何度も登場したことのあるモチーフじゃないかと思います。
多くの日本人には違和感のない(と思われる)このストーリー、つまり、主人公のジェイクが(まあナヴィの美人ちゃんを好きになっちゃったということは置いといても)非経験主義的世界で生きることを選ぶというストーリーは、合理主義・資本主義が浸透している米国のファンにとって、もしかすると脳天をなぐられるような衝撃的なことだったからこそ、冒頭のニュースのようなことが起こったのではないかという気がします。日米の社会構造とそれぞれの国民の捉え方の差を、こんなところで感じたのでした。
なんというこむずかしいことは抜きにしても、たっぷり楽しめる映画です。おすすめです。




