Twitterの威力が増しているように思われる2009年の暮れ、日本。
私も本日、ウワサの粒谷区に転入してみました。「粒谷区」自体は、だから何?って言われると実は何でもないバーチャルなコミュニティなんだけど、小宮山雄飛さんの「つぶやくと渋谷区って似てね?」という小さなつぶやきが、ほんの数日でこういう状態にまで発展してしまったTeitterのスピード感は、既存のメディアには無かったものではないかと。
ちょっと話がそれますが、数年前、携帯電話のイチ機能として、「Push To Talk」というサービスがこぞって導入されたことがありました。キャリアによってサービス名は違っていましたが、1対多のトランシーバ通信(音声)を携帯上で出来るというものでした。でも、Push To Talkは大コケ。最近の機種にはプリインストールされていないはずです。
Push To Talkの売りは、いつでも誰とでも、即座に声と声でチャットできるということでした。つまり、既存の電話の弱点だった、ダイヤルする手間だとか、一対一でしか話せないという点をカバーしたもの。でも結局、声と声で、ホントにリアルタイムに話すことの面倒さは、人々に受け入れられませんでした。
一方で、Twitterがもたらす「他人のリアルタイムな状況を把握できる」機能を、人々はすんなり受け入れて楽しんでいる。ブログや掲示板よりさらに「リアルタイム」であることは、Twitterの最大の魅力であると言っていい。
うーん、この二つを並列に比べることがそもそも間違っているのだな。
1対1のコミュニケーション(会話、手話、1対1チャット・・・)には、「投げられたボールを投げ返す」という基本ルールがあります。Push To Talkが、(1対多とはいえ)その基本ルールを適用する前提のシステムであるのに対して、TwitterなどのNear-Real Time系のコミュニケーションは、その基本ルールを適用しなくとも参加できるようになっている。両者の差は、まあこの差なんだろうな。前提とする「つながり」の密度(逆に言うとゆるさ)が違うから、コミュニケーションの「場」への入りやすさが違う。
ソーシャルメディアが、コミュニケーションのフォームをよりフラットに、よりグローバルに変化させているのは大歓迎なんだけど、その裏で、1対1の、身体性を伴う、すなわち心の痛みを伴うコミュニケーションが失われているのかもしれないという不安を感じるのは俺だけだろうか。人類は楽してないか?そうでもないのか?
恐ろしくまとまりのない日記だな・・・